大阪市西区南堀江3丁目に「高台小学校跡」の碑があります。
「高台」(旧字体で「高臺」とも表記)は「たかきや」と読みます。
明治時代初期、1873年に西大組第十三区小学校として創立し、高台尋常小学校となった、歴史の古い学校でした。1941年には国民学校令により、高台国民学校へと改称されました。
しかし1945年3月13日の大阪大空襲により、校舎や校区が被災しました。戦後児童が激減して休校となり、残った児童は日吉小学校で授業を受けていましたが、その後正式に日吉小学校に統合される形で廃校となりました。
高台小学校の旧敷地は、1955年より花乃井中学校の分校として使用されるようになりました。分校が独立する形で、1959年に堀江中学校が発足しました。堀江中学校は2022年1学期までこの場所にありましたが、同年2学期より旧大阪市立西高校あとに移転しました。