大阪市浪速区、今宮駅からもほど近い大阪市立浪速第一保育所です。
保育所のフェンスに「大阪市顕彰史跡第218号 有隣学校跡」のパネルが設置されています。
大阪市では明治時代後期以降、産業革命の進展、工業化と都市化に伴う負の側面として、貧困層が生まれ都市の社会問題となりました。
貧困層が集住する地域は、当時の市の周辺部だった、現在の浪速区や北区にいくつか現れました。都市の問題、労働や社会福祉の問題、学校に通えない子どもが相次いだなどの教育問題などの複合的な観点から、取り組みが進められてきました。
その取り組みのひとつとして、地域の篤志家が出資する形で、昼間働かざるを得ない児童に教育の機会を設けるための夜間学校が市内にいくつか設置されました。
そのうちのひとつが、有隣学校でした。有隣学校は1911年に設置されました。その後公立に移管され、栄第三小学校(南栄小学校)となりましたが、太平洋戦争の戦災により廃校となり、現在の栄小学校に統合されています。